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Fashion creator’s Opinion

業界で活躍する方々に、ファッションに関する様々な意見を聞くインタビュー

中村 里美
中村 里美

中村 里美

PROFILE

東京都生まれ。高校卒業後、母親の勧めで文化服装学院に進学。3年間学んだ後、スポーツウエアメーカーのゴールドウィンに入社。約4年間パタンナーとして勤務。退社してパターン事務所で経験を積み、フリーに。1987年、コム デ ギャルソンに転職。入社12年目に係長、その4年後に課長(チーフパタンナー)に昇進。26年間メンズのパターンを支え続けた。2013年11月、独立してBricolageを設立。15年5月、文化ファッション大学院大学の特別講師に就任。

携わる人たちと目線や感性を共有すること。それが素晴らしいモノづくりへの出発点
 新卒でパタンナーとして働き始めた頃、実はそれほどアパレルへの情熱はありませんでした。転機となったのは、入社2年目に外部のフリーパタンナーとスポーツウエアの仕事をした時のことです。メンズファッションも手がけていたその男性パタンナーがつくるものは、これまで見たことのない型。モノづくりのすごさ、パターンの奥深さに魅了された瞬間でした。それを機に「もっといろんな種類の服に挑戦したい」と思うようになり、パターン専門の事務所への転職を経て、フリーとなりました。
 会社員時代から「パターンがうまい」と言われていて、独立後も次々と仕事が舞い込んできました。私のパターンは、縫い上がりが違うそうです。同じデザイン画を用いても、人によってできあがる型は異なります。私はパターンに対する解釈や表現が人とは違っていたのでしょう。
 そんなある日、見事な紳士服のサンプルが上がってきました。皆は「中村さん、すごい」とほめてくれましたが、それは縫製の力だとすぐに気付きました。自分の実力はわかっています。どんなに素晴らしいパターンでも、いい縫製がなければ絶対に成立しません。
 そのサンプルに衝撃を受けた私は、どうしてもその縫製士に会いたくなりました。注文服の縫製や仕立て直しをしている男性職人でしたが、その人に縫ってもらいたい一心で、自分のお金で縫製をオーダーしていました。そして、できあがった服をほどいて、パターンにはない部分、縫製で工夫している部分を探し、研究を続けました。彼との出会いは、本当に大きかったですね。
 こうして紳士服のパターンと縫製を独学で学び、コム デ ギャルソンのパタンナーに応募したのが27歳の時。それから26年間、メンズ一筋です。
 デザイナーが表現するのは、いってみればメンタル、つまり精神的なもの。それをキャッチし、具現化するのが私たちパタンナーの仕事です。さらに、トワルの段階でうまく表現できたとしても、難しいのは、コストを計算しながら、同じクオリティで量産すること。それを実現してくれる工場へのアプローチも、パタンナーの重要な責務です。
 私は、これまで日本国内の工場と組むことを大切にしてきましたが、安価な縫製を求めて仕事が海外に流れ、技術力の高い紡績工場や縫製工場が次々に倒産しています。そのため、残念なことに日本で培われた技術や歴史が継承されていません。
 また、イタリアやフランスに比べて、日本ではファッションを支える職人の地位が低く、価値が認められていないのは本当に残念です。また、仕事に上流・下流はあっても、依頼者が謙虚な姿勢で、感性や目線を対等に共有して初めて、いいモノづくりができる。そういった気持ちが、今の日本には欠けていると思います。
 2013年11月、Bricolage(ブリコラージュ)を設立しました。パターン製作、生産、デザイン企画といった側面から、デザイナーの表現と企業の服づくりをサポートするプロ集団です。本当にいいモノづくりを追求し、「Bricolageが携わっているのなら、この服は信頼できる」と評価される仕事をつくり出していきたいと考えています。そしていつの日か、Bricolageという名前がJISマークのような役割を果たし、サポートしたブランド名の下に「協力:Bricolage」のクレジットが入るようになることが今の夢です。
 クリエイターを目指す若者には、デザインだけに固執せず、あなたにしかできない表現を提案してほしい。服は一つの時代における心の表現です。音楽や書物など様々なものから流行を幅広く学んでおかないと、すぐに限界がきます。「自分はこの服で何を表現したいのか」。そこをどこまでも追求し、常に真摯な気持ちで服づくりに挑んでください。

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