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ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

高田 賢三 Vol.2

PROFILE

高田 賢三 (たかだ けんぞう)
高田 賢三氏に聞いた20の質問

1939年 2月27日、兵庫県姫路市生まれ

1958年 神戸市外国語大学を中退し、文化服装学院師範科に入学

1964年 6カ月の予定でパリへ船で向かい、そのまま住みつく

1970年 独立し、自分のブティック「JUNGLE JAP」を開業

1985年 東京にケンゾー・パリ株式会社を設立

1993年 フランスの企業グループ、LVMHにブランドを売却

1999年 「KENZO 30ANS」を最後に、ブランドを退く

2002年 独立デザイナーとして復帰。フランスの通販雑誌『ラ・ルドゥート』にデザイナーとして参加

2006年 「TAKADA」で、2007年春夏コレクションを発表

2010年 パリで「能」をテーマした絵画の個展を開催  

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日本人としての感性と矜持を常に忘れずに生きてきた。世界が僕を認めてくれたのは、その想いを曲げなかったから

—25歳の時、賢三は三愛を休職し、友人の松田夫妻と船でパリに向かった。横浜港を11月末に出航し、香港、インド、アフリカなどを経由して年末にマルセイユに到着。パリを拠点にヨーロッパを周遊する。3カ月後、松田夫妻は日本へ帰国したが、6カ月の休職予定だった賢三は、パリに留まった。

パリ滞在中、シャネルなどのオートクチュールのショーを見たのですが、あまりにも完璧な美しさに衝撃を受け、松田君と「僕たちは、デザイナーなんて名乗ってはいけないのではないか」と打ちのめされました。松田夫妻が旅立つと、2月のパリに僕一人……街は寒いし、友達もいない。小さな部屋で途端にホームシックになってしまった。国際電話はお金がかかるので、手紙を書いて寂しさを紛らわせてね(笑)。2月中旬に「せっかくだからフランス語を勉強しよう」と語学学校に通い始めて、ようやく友達が数人できました。帰国が近づいた頃、ふと「デザイン画を誰かに見てもらおう」と思い立ち、1週間かけてスケッチブック数冊に画を描いてみました。久しぶりに描くのは楽しかったし、いざとなると厚かましくなれるもの(笑)。ルイ・フェローの店に飛び込んで、画を売り込んだのです。すると、なんとルイの奥さんが5枚ほど買ってくれた。値段は1枚25フラン(約5ドル)。その夜は久しぶりに外食しました。翌日、『エル』の編集部を訪ねると、今度は1枚50フランで10枚も買ってくれた。もしもあの時、画を描いて、ルイ・フェローの店に行っていなかったら、今の僕はなかった。僕の人生が大きく動き出した瞬間です。お金の心配がなくなると、途端に日本に帰る気は失せました(笑)。パリでいろいろな会社に画を売り歩いているうちに、ワンピース専門の既製服メーカーに誘われ、就職することに。当時の仕事はスタイル画を描き、トワルづくりと製図が主。半年後、同じように画を買ってくれていた既製服のデザイン会社に転職し、ここには自分のブティックを構える直前まで在籍していました。



憧れのパリで就職した髙田氏。そこからさまざまな人の協力や工夫で、自分の店を持つに至ります。

その経緯とは?

第三回は、ファッション業界でも話題となった「ジャングル・ジャップ」の立ち上げの頃のストーリーを紹介します。

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