- THINK TOP
- 肖像 コシノヒロコ Vol.5
ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

コシノヒロコ (コシノ ヒロコ)
コシノヒロコ氏に聞いた20の質問
1937年 大阪・岸和田市に生まれる
1961年 文化服装学院を卒業後、銀座小松ストアー(現ギンザコマツ)ヤングレディースコーナー専属デザイナーに
1964年 大阪心斎橋にオートクチュール・アトリエを開設
1978年 ローマ、アルタ・モーダに日本人として初めて参加
1982年 パリ・プレタポルテコレクションに参加。以後年2回参加
1988年 株式会社ヒロココシノデザインオフィス設立、代表取締役社長に就任
1997年 大阪コレクションにて、大阪府知事、大阪市長をモデルに迎えヒロココシノ・オム・コレクションを発表。ブランド設立15周年、デザイナー創作40周年を迎える
MORE
「日本でトップのデザイナーになる!」。
アートも、今なお変わらないこの夢を叶える手段の一つ。
長唄、書画、ゴルフ、スキーと趣味も多彩だが、それらの経験も服づくりに還元されていく。もうすぐキャリア60年を迎えるその道のりは、「自分はこうありたい」という筋を通し続けてきた、一人のプロフェッショナルの歴史だ。
日本の長唄には独特の間があります。この間は楽譜には書けないもので、演奏者が「あうん」の呼吸で合わせている。日本画も、見えるものを克明に描く西洋画とはまるで違う精神性に富んだ何かがあるでしょ。そういうものを自然に、私のつくる洋服のなかに生かしていきたいと常々思っています。三味線は名取ですが、プロになりたくてやってるわけじゃありません。すべてはファッションのため。もちろん、見る人がどう感じるかはその人の自由ですが、「ほかのデザイナーとは何かが違う」と思っていただけたら、うれしいですよね。
ファッションデザイナーとしていい仕事をするために必要なことは、やはり絶対的な努力ではないでしょうか。人は「才能がある」とか「運がいい」とか言いますけど、私はそうは思いません。自分の信念を崩さず、一つの大きな目的のために絶対的な努力をしないといけない。99%まで努力して、そこで初めて才能が生かされるんです。生まれつきの才能なんてみんな同じなんですから。本当の努力とは、ぶれない生き方だと思います。私は若い時から「自分はこうありたい」という筋を通してきました。誰にも追従せず、自分のスタイルを崩しませんでした。これこそが、デザイナーとして長く生きていくために大切な要素。「自分はこうありたい」という思いが人生の幹になる。私にとって、絵や三味線も、その幹を強く太くしてくれるものなんですよ。