肖像

ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

丸山 敬太 Vol.3

PROFILE

丸山 敬太 (まるやま けいた)

1965年 3月4日、東京都渋谷区生まれ
1971年 神宮前小学校に入学。卒業後、原宿中学校に入学
1979年 豊島区にある本郷高等学校グラフィックデザイン科に入学
1983年 文化服装学院ファッション工科・アパレルデザイン科に入学
1986年 文化服装学院を卒業後、
     ビギグループの株式会社キャトルセゾンに入社
1990年 退職して、フリーランスデザイナーとして活動
1991年 DREAMS COME TRUEと出会い、
    コスチュームデザインを手がける
1993年 自身のブランド「ケイタ マルヤマ トウキョウ パリ
     (KEITA MARUYAMA TOKYO PARIS)」を設立
1994年 1994-1995年秋冬東京コレクションデビュー。
     メンズ・レディースの両ラインを発表。K2Mインターナショナルを設立  

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「あなたが自分のアイデアを世に出す時期が訪れている」その言葉でブランド設立を決意。仲間に支えられたデビュー

 学生時代から自分がつくった服をよく着ていた丸山は、親しいスタイリストの先輩らに頼まれ、仕事の空き時間を使ってコマーシャル用の衣装制作を手がけていた。90年に退職してフリーの活動を始めると、その噂がすぐに広がり、次々と衣装制作の依頼が舞い込むように。ドリームズ・カム・トゥルーと出会ったのもこの頃だ。以来、彼らのライブコスチュームを手がけ続けている。

 フリーランスとして3年が経過した頃、「このままステージ衣装など、一点ものをつくる仕事をしていていいのか」という疑問が膨らみ始めました。
 その頃、相談に乗ってくれたファッションジャーナリストの平山景子さんが、僕のデザインブックを見て「すごく面白い。だけど、どんなにいいアイデアも、外の世界に出してあげないと腐ってしまう。もうその時期が訪れているのだから、発表しなさい」と言ってくれたのです。
 だけど、当時はその方法がわからなかった。大企業のバックアップがなければ、自分のブランドなど出せないと思い込んでいましたから。ところが平山さんは、「あなたなら、自宅の部屋でショーをやっても人は来てくれる。少なくとも私が何人かは連れてくる」と。その言葉で、「自由なやり方でいいんだ!」と吹っ切れた。平山さんの言葉で、僕の人生が大きく変わったのです。
 資金は、コンテストで稼いだ賞金と貯蓄、そして事情を話して両親から借りた数百万円。家賃3万円の格安料金で西麻布の一軒家を借りることができ、自分のアトリエも整えました。
 僕のデビューコレクションは、遊び場で知り合ってつながったモデルや演出家、ヘアメイクなど、たくさんの仲間に助けてもらって実現しました。彼らもちょうど世の中に出始めるタイミングで、僕が自分の夢を語ると「敬太がやるなら、応援するよ」と、みんな手弁当で手伝ってくれた。デビューコレクションは人生で一度だけのもの。これまでたくさんのコレクションを経験してきましたが、今でもこのコレクションが一番強く印象に残っていますね。

ブランドデビューから、東コレ、そしてついにパリコレへと進出してく丸山氏。 詳しくは第4回で!

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