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- 肖像 丸山 敬太 Vol.5
ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

丸山 敬太 (まるやま けいた)
1965年 3月4日、東京都渋谷区生まれ
1971年 神宮前小学校に入学。卒業後、原宿中学校に入学
1979年 豊島区にある本郷高等学校グラフィックデザイン科に入学
1983年 文化服装学院ファッション工科・アパレルデザイン科に入学
1986年 文化服装学院を卒業後、
ビギグループの株式会社キャトルセゾンに入社
1990年 退職して、フリーランスデザイナーとして活動
1991年 DREAMS COME TRUEと出会い、
コスチュームデザインを手がける
1993年 自身のブランド「ケイタ マルヤマ トウキョウ パリ
(KEITA MARUYAMA TOKYO PARIS)」を設立
1994年 1994-1995年秋冬東京コレクションデビュー。
メンズ・レディースの両ラインを発表。K2Mインターナショナルを設立
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自分がいなくなった後も継続していける企業、
ブランドであるために三越・伊勢丹との提携を決意
2001年には、さらなる販路拡大を目指し、ワールドと合弁で株式会社ノーリッジインターナショナルを設立。その後、14年に三越伊勢丹ホールディングスと提携した。現在は、「KEITA MARUYAMA」ブランドの商標を譲渡し、三越・伊勢丹での店舗の拡大や、ライセンス商品の企画・販売に注力している。
僕は、経営もクリエイションだと思っています。ファッションは、アートではなくビジネス。経営センスがなければ、デザイナーとしての成功はおぼつかない。瞬間的に輝くことはできても、ブランドを継続することは難しいのです。だから、経営は他人任せで、デザイナーはクリエイションに専念するというスタイルは違うと思っています。
クリエイティブ主導の考え方と、経営主導の考え方の両立は難しいけど、数字を把握したうえで、経営の主導権を自分で握ることに固執せず、きちんと運営してくれる人、あるいは企業とうまく組む。こうして共同でビジネスを組み立てていくのが望ましい。ブランド設立から約20年、そのバランスは身に付いたと思っています(笑)。
7年前に海外事業からいったん撤退し、インターナショナルなファッションサーキットから姿を消すかたちになりましたが、経営体制と経済の状況が安定したら、もう一度グローバルなマーケットに挑戦すると決めていました。「KEITA MARUYAMA」を日本を代表するブランドとして定着させ、グローバルなブランドに育てたい。そして、僕がいなくなった後も継続していけるブランドであり企業にしたい。そう考えて、三越伊勢丹ホールディングスとの提携を決めた。伊勢丹は、世界中のデザイナーが目指す百貨店の一つ。そこに常に売り場を持てることは大きな強みです。さらに最近は、これまで手をつけていなかった生活・ファッション雑貨にもアイテムを広げて展開を始めています。
僕は、髙田賢三さんに憧れて、この世界に入りました。その時に掲げた目標は、自分の名前のブランドを持ち、パリでコレクションを発表し、人々に愛される服をつくって世界に出店し、最後は香水ビジネスで成功すること(笑)。古い成功パターンといわれるかもしれませんが、その夢は昔も今も変わりません。
たくさんの挫折を経験し、人にご迷惑をかけることも多くありましたが、これまでデザイナーを辞めたいと思ったことは一度もありません。回り道をしたり、山を上がったり下ったりしながら、僕は今も挑戦し続けています。今、山の何合目にいるのかはわかりませんが、僕は死ぬまでデザイナーであり続けたいと思っています。
本文中敬称略