肖像

ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

皆川 明 Vol.1

PROFILE

皆川 明 (みながわ あきら)

1967年 東京都大田区に生まれる
1987年 文化服装学院服飾専門課程Ⅱ部服装科に入学
1989年 文化服装学院を卒業後、大西和子のメーカー「P・J・C」などに勤務
1995年 自身のファッションブランド「minä(ミナ)」を設立。東京・八王子にアトリエを構える
1999年 アトリエを阿佐ヶ谷に移す
2000年 アトリエを東京・白金台に移し、初の直営店をオープン
2003年 ブランド名を「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」に改名。フリッツ・ハンセン社とのコラボレーションで、
    「minä perhonen」の生地をまとった家具、エッグチェア、スワンチェア、セブンチェアを発表
 

MORE

     

「100年を超えて続ける」と決めた。
人間に普遍的な感性に訴えるブランドとデザインを次世代に繋いでいく

昔から「終わらないもの、ずっと続けられるもの」を探していた。ファッションの世界に足を踏み入れる以前の皆川 明にとって、その対象は陸上競技だった。長距離ランナーとして活躍し、将来は体育教師になる。そんな未来を思い描いていたのだが……彼の人生は予想外の転機を用意していた。

 生まれは東京の蒲田です。父は精密機器メーカーに勤めるエンジニア、母は小学校教師。デザインに触れる機会は、祖父母が与えてくれました。2人が営む輸入家具店が五反田にあったので、小さな頃、よく遊びに行っていたんですよ。祖母が「これはバッファローの革、これはイタリアの家具」と、幼い僕に教えるでもなく話してくれたことが、今も記憶に残っています。
 学生時代に夢中になったのは、陸上競技です。優秀なランナーだった、年上のいとこに憧れて。中学時代は1500mと3000m、高校では駅伝を走りました。残念ながら全国レベルには届きませんでしたが、「ずっと走り続けたい」という気持ちは強かったですね。体育大学に進学して、いずれはフルマラソンにも挑戦し、体育教師になる。漠然とですが、そんな将来をイメージしていました。
 しかし、高3の大会の予選で、足首を骨折してしまった。テーピングしてなんとか決勝も走りましたが、さらに傷は悪化。結果、当然ながら体育大進学に必要な成績に届きませんでした。陸上一筋だった僕には、大きな“事件”ですよ。でも、必死で頑張っても自分は県の決勝止まりの選手……そう考えて、ランナー人生に区切りをつけることにしたのです。

これで未来はまったくの白紙。高校を卒業しても何もやることがない。それならばと、ヨーロッパへ数カ月間の一人旅に出かけることにしたのです。

 ヨーロッパを選んだのは、祖父母が家具を買い付けにヨーロッパに行っていた影響かもしれません。パリでは、フランス語を学ぶため、語学学校に通いました。そこでアパレル出身の日本人女性と知り合うのですが、彼女の紹介でパリコレのアルバイトをさせてもらうことに。
 ファッションの世界に触れたのはこれが初めて。しかも、いきなりパリコレのバックステージです(笑)。簡単なお直しやフィッティングなど、雑用をするだけでしたが、周りの人の手つきをマネしながら一生懸命やりました。正直にいって、「とても苦手な作業だな」と思いました。僕は昔から不器用で、ものづくり全般が苦手。プラモデルもうまくつくれません。でも不思議と、ファッションに惹かれる自分がいた。確かに苦手だけど、苦手だからこそ続けられると直感したんです。
 “続けられる”という状態を、昔も今も僕はとても大切にしています。何十年も同じ会社で働き続ける父を、尊敬していました。自分の飲み込みの悪さを昔から自覚していたし、みんなと同じように何かを始めても、同じ速度では覚えられない。でもずっと続けられれば、そのことが好きになるし、いつか上手にもなる。保育園の頃、泥団子がなかなかつくれなかったのだけど、毎日続けていたらできるようになった。その時の嬉しさを鮮明に覚えています。ファッションもきっと同じ。「これなら一生続けられるかもしれない」、そう思ったんですね。

ファッションの道を目指し始めた皆川氏。一生続けられるかもしれない、という予感の中、文化服装学院に入学。その学生生活は? 
次回に続きます。

BACK NUMBER

MORE