肖像

ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

皆川 明 Vol.2

PROFILE

皆川 明 (みながわ あきら)

1967年 東京都大田区に生まれる
1987年 文化服装学院服飾専門課程Ⅱ部服装科に入学
1989年 文化服装学院を卒業後、大西和子のメーカー「P・J・C」などに勤務
1995年 自身のファッションブランド「minä(ミナ)」を設立。東京・八王子にアトリエを構える
1999年 アトリエを阿佐ヶ谷に移す
2000年 アトリエを東京・白金台に移し、初の直営店をオープン
2003年 ブランド名を「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」に改名。フリッツ・ハンセン社とのコラボレーションで、
    「minä perhonen」の生地をまとった家具、エッグチェア、スワンチェア、セブンチェアを発表
 

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服づくりは苦手。
できないことは人に任せて自分は得意分野に集中

そんな未来地図を手に入れた皆川は、ヨーロッパ旅行から帰国すると、文化服装学院の夜間へ進学する。昼間は縫製工場でアルバイトをし、お金が貯まると、あちこち旅行へ出かけていく。自身のブランド「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」とゆかりの深いフィンランドにも、19歳の時に訪れている。

 文化服装学院に入学して改めてわかったのは、自分は洋服づくりが苦手だということ(笑)。部分縫いの課題も満足に提出できないし、先生が教えてくれることも理解できない。おまけに旅行で海外に出かけると1、2カ月は帰ってこないわけで、すっかり劣等生です。危うく除籍になるところでしたが、親しい先生に頼み込んで留年で勘弁してもらいました。
 ただ、やめようとは一度も思いませんでした。学院には在学中に賞を取るような優秀な学生もいましたけど、まったく芽の出ない自分と彼らの差は、ほんの数年。「10年後に、満足のいく服がつくれるようになっていればいいか」くらいの感覚で、あまり気にせずやっていました。
 服づくりは苦手でも、学院は好きな場所でした。毎年、文化祭があって、ファッションショーが開催されます。基本的に学生は、1人1体ずつショーで発表する服をつくるのですが、ショーのフィナーレの演出上、たくさんの服を一気に出したいと思ったんですよ。ショー委員会のデザイン部門のまとめ役を任された年、自分のデザイン画をもとに、ほかの学生に縫ってもらい、十数体を発表しました。
 この経験から、自分で縫わなくても服はつくれるということがわかりました(笑)。自分にはできないことでも、それが得意な仲間の力を借りれば実現できる。今思えば、組織づくりに適した思考を持っていたのかもしれません。苦手なことは仲間に任せて、自分が得意なことを精一杯やる。今も僕は、組織の一要素でいいと自覚しているんです。何かできないことがあっても、引け目を感じることは、ほとんどありません。

文化服装学院を卒業して、いよいよ自身のブランド「minä perhonen(ミナ ペルホネン」を立ち上げる皆川氏。その成功までの道のりとは? 
次回に続きます。

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