肖像

ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

永澤陽一 Vol.5

PROFILE

永澤陽一 (ながさわ よういち)
永澤陽一氏に聞いた20の質問

1957年 京都に一人っ子として生まれる
1978年 三重県の日生学園高等学校(現:桜丘高等学校)を卒業
1980年 名古屋モード学園を卒業後、渡仏。TOKIO KUMAGAI ABC DESIGN PARISに入社
1988年 「TOKIO KUMAGAI」のチーフデザイナーとして、東京コレクションに参加
1991年 日本に帰国して、株式会社スチルを設立
1992年 「YOICHI NAGASAWA COLLECTION」を発表。同年、「無印良品」の衣料品ディレクターに就任
1993年 若者を対象とした「 NO CONCEPT BUT GOOD SENSE」を発表
1996年 97年春夏パリ・コレクションに初参加
1997年 日本アジア航空(JAA)のユニフォームをデザイン  

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自分はどうしたいのか、そして何のためにデザインをするのか。
その気持ちに忠実に生きる

デザイナーとして、一つのスタイルを貫き続けるべきではないかと考えた時期もあったが、最終的に「やりたいことがあるなら迷わず何でもやる。それを自分のスタイルにしよう」という境地に到達した永澤。2000年からはイオンと組んで、〝環境×ファッション〞にいち早く取り組んだ。

00年から、イオンのエコロジー・コンセプト・ブランド「SELF+SERVICE(セルフサービス)」を手がけました。きっかけは、「木を植えています」というCMを偶然テレビで見て、「総合小売業のイオンが、なぜこんなスローガンを?」と不思議に思ったこと。ちょうど知識人の間で環境に対する意識が高まってきた時期で、「環境とファッションとものづくりとの接点をつくりたい」と考えていた僕は、早速イオンにアプローチしました。先方に自分の考えを話すと、わずか20分で「一緒にやりましょう」となった。
 デザイナーとして重要なのは、世の中や企業が何を望んでいるのかを第一に考えること。そのうえで、評価される結果を出す。僕は、他人からどう見られているかより、「自分はどうしたいのか」を常に優先したいのです。

トキオ・クマガイに11年、無印良品の衣料品ディレクターを10年、パリ・コレクション を10年、金沢美術工芸大学大学院の教授が10年。永澤は「10年ごとに転換期が訪れている 」と自分の人生を振り返る。

大学院の教授として学生に伝えてきたのは「なぜデザインするのか?」を考えること。出発点が定まらないままでは、何十年か続けていくうちに必ず壁にぶつかるからです。この問いに対する僕の答えは「食べていくため」。それが僕の出発点だから。つくりたいものだけつくっていても、お金にはならないし、稼ぐ必要がないのならボランティアでいい。仕事とお金をどう釣り合わせていくか。これが現実です。
 ある人から「デザインとは舟を漕ぐようなものだ」と言われ、そのとおりだと思いました。舟を漕ぐ時は、進む方向とは逆を見ています。同じように、デザインも過去に見たはずの何かをアレンジして、現代にフィットした作品をつくり出していくからです。
 だから、僕は将来の夢などあまり先のことは考えない。目の前の仕事に責任を持ち、結果を残していけば、必ず新たな一ページが開かれるはず。そう信じて、これからも次に何と出会うのかを楽しみに前へ進んでいくだけです。

本文中敬称略

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