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- 肖像 菊池 武夫 Vol.5
ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

菊池 武夫 (きくち たけお)
菊池 武夫氏に聞いた20の質問
1939年 5月25日、東京千代田区生まれ
1959年 文化学院美術科に入学
1961年 原のぶ子アカデミー洋裁学院に入学
1962年 原のぶ子アカデミー洋裁学院を卒業。ルリ落合のアトリエで、佐久間良子の映画衣装を手がけた後、銀座のクチュリエ2店(マダムミキで4カ月、ミモザで6カ月)で女性の注文服制作を経験
1963年 稲葉賀惠と結婚
1964年 自宅にアトリエを構え、稲葉賀惠と2人で注文服を手がける
1969年 ヨーロッパとアメリカを1人で2カ月間旅行する1970年 大楠祐二と株式会社ビギを設立。表参道に1号店をオープン
1975年 株式会社メンズ・ビギを設立。青山キラー通りに1号店を出店
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ビジネスの健全な継続のためにポストを譲り、ブランドアイデンティティーを取り戻すために復帰
2004年、菊池は、「タケオキクチ」のクリエイティブディレクターのポストを後進に譲り、自身は40代以上をターゲットにした「40CARATS & 525」の展開をスタート。しかし12年、菊池はクリエイティブディレクターへの復帰を決意する。
後進にポストを譲ったのは、タケオキクチというリアル・クローズに共鳴してもらうには、対象年齢に合った人の発想が必要だと思ったから。これはビジネスを健全に継続していくための方法論で、デザイン活動とは別の次元での判断です。
8年を経て復帰を決めたのは、僕がいた時代に携わっていたスタッフがいなくなり、僕の作風、スタイルなど、アイデンティティーがきちんと伝わっていないと感じたから。もう一度それをきちんと伝え、僕の仕事と考え方を残しておきたいと思ったのです。

4年半在籍していたビギから、「メンズ・ビギ」の全盛期、そしてワールドに移籍したのちの「タケオキクチ」に至るまで、手がけてきたブランドはすべて大きく育て上げてきた。菊池の最大の強みは、ビジネスとクリエイションを両立させるバランス感覚だ。
ビジネスとクリエイションは、考え方が相入れないものだといわれていますが、僕はこのバランスがとれていないと不安でたまらない。だから、僕の中には〝売れる服〞と〝つくりたい服〞とのギャップがまったくないんです。この本能的ともいえるバランス感覚は、経済的に不安定だった子供の頃の家庭環境から生まれたのだと思います。
デザイナーとして心がけているのは、自分なりのモノの見方や考え方を継続すること。例えば、街で目立つ人を見かけたら「僕だったらこうだな」と比較してみる。本でも映画でもテレビでも、必ず「自分だったら……」と置き換えて考えることを習慣にしている。常に頭を働かせているから、いざデザインワークに入った時に、現実から離れないリアル・クローズをつくり出すことができるのです。
いくつになっても僕は、人に刺激を与えられるデザイナーという仕事を楽しんでいるし、負けず嫌いの性分は変わりません。だからこれからも「僕の視点は、ほかの人とはちょっと違うぞ」というオリジナリティで、勝負し続けていくんでしょうね。