肖像

ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

津森 千里 Vol.1

PROFILE

津森千里 (つもり ちさと)
津森千里氏に聞いた20の質問

1976年 文化服装学院デザイン科ファッション課程を卒業し、
    アパレル企業に就職。約1年勤務した後、3カ月間ニューヨークを旅行
1977年 株式会社イッセイミヤケインターナショナルに入社し、「イッセイスポーツ」のデザイナーとなる
1983年 「イッセイスポーツ」のブランド名を「I.S. Chisato Tsumori Design」に変更し、
     チーフデザイナーに就任
1986年 文化服装学院の同級生と結婚。2年後に長男を出産
1990年 津森千里デザインスタジオを設立。東京コレクションに参加し、
自身のブランド「TSUMORI CHISATO」を発表(90-91A/Wコレクション)
1995年 TSUMORI CHISATO青山店をオープン  

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動物とたわむれ、自然の中で遊び
赤毛のアンと少女漫画に夢中だった幼少時代

デザイナーの津森千里が提案するガーリーでファンタジックなテイストは、今も幅広い年齢層の女性を魅了し続けている。「TSUMORI CHISATO」の服が発信する“かわいい”のルーツは、「小さな頃から変わらない好きなものや欲しいものであり、自分らしさそのもの」と語る津森千里。そんな彼女の“永遠の少女性”を育んだ子供時代とは……。

 埼玉県狭山市で生まれ、それぞれ3つ違いの兄が2人と妹が1人、そして両親の6人家族。母は動物が大好きな人で、小さい頃はペットの犬や猫、小鳥、カメ、ウサギなど、たくさんの動物に囲まれて育ちました。
 また、家の周りには自然がいっぱいあって、野原の草で亀や傘をつくったり、レンゲ畑で髪飾りを編んだり、川で泳いだり。友達と「ひまわり団」なるものを結成し、「敵をやっつけるために」と言ってみんなで穴を掘り、空き家に隠れたりして……。もちろん、敵なんていないんですけど(笑)。
 一方、家の中では、人形遊びや読書も好きでしたね。一番好きだった本は、『赤毛のアン』。ドリーミーでロマンチックな世界に憧れました。それから、当時は漫画を描くのが流行っていて、私も『リボン』や『マーガレット』を読んでは、大きな目に星が入った少女漫画を描いていました。小学生の頃の夢は、漫画家になることだったんです。
 母がよく洋服を縫ってくれたので、中学生の頃には見様見真似で自分の服をつくるようになりました。
 高校になったらどうしてもセーラー服を着たくて、制服のかわいさで公立の学校を選択。この頃からさらに洋服づくりに夢中になり、洋裁専門誌の型紙を使って、パンタロンをつくったりしていました。
 「これからは女性も手に職を持って自立するべき」と考えていた母が、私にすすめてくれたのが文化服装学院でした。勉強は好きじゃなかったので、もともと大学に行くつもりもなく、すんなりと文化服装学院に進学することを決めたのです。
 3年間の学院生活は毎日の課題が多くて大変でしたが、とても楽しかったですね。なによりも、服づくりという同じ目的を持つ仲間ができたし、憧れていた髙田賢三さんや三宅一生さんにも学院で出会うことができましたから。
 「服づくりの基礎が学べればいいな」くらいの軽い気持ちで入学した私は、当初、「デザイナーってどんな人がなるんだろう」と思っていて、自分がデザイナーになれるなんて想像すらしていませんでした。でも、周囲の仲間が装苑賞に応募し、次々と賞を取っていく。「へえ、あの子が賞を取れるなら、私にもできるかも」と思っちゃった(笑)。それから装苑賞に応募し始めたら、佳作に4回も入賞。審査員だった三宅一生さんが選んでくれた作品もありました。そんな結果を得てやっと、自分もデザイナーを目指していいんだって、思えるようになったのです。

自然とあたたかい家族の中でのびのびと感性をひろげて育った津森氏。次回は社会人になってデザイナーとしてその才能を開花させていきます!その軌跡とは!?

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