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- 肖像 津村耕佑 Vol.4
ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

津村耕佑 (ツムラコウスケ)
津村耕佑氏に聞いた20の質問
1959年 埼玉県行田市に、妹2人の3人兄弟の長男として生まれる
1978年 埼玉県立深谷商業高校を卒業後、東京デザイナーズ学院に入学
1983年 三宅デザイン事務所に入社し、クリエイションスタッフとなる
1992年 造形作家としても活動。個展「Regard de Meduse」(青山スパイラル)
1994年 自身のファッションブランド『KOSUKE TSUMURA』 『FINAL HOME』をスタート。パリコレクションに初参加
1997年 ロンドンファッションウィークに初参加
2000年 展覧会「ヴェネツィア・ビンナーレ第7回建築展」(イタリア)
2005年 展覧会「愛・地球博ファッションショー」(愛知)
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夢だったパリコレを続けていくことに葛藤。
初心に返り、自分のスタンスを取り戻した
話を少し戻すが、津村はイッセイミヤケ所属時代、スタッフとして同行したパリコレに強い憧れを抱いていた。その夢が叶い、94年に自分のブランドでパリコレデビューを飾ったわけだが、以降、4年ほどパリコレでの発表を続けるなか、徐々に自信が持てなくなり、大きな葛藤を抱えることに。
インカマーのショーは、自分らしさがあって、強烈なインパクトも残せたと思います。ところが、回を重ねるにつれ「どうしたら受けるのだろう」という思いが強くなり、不安がふくらんでいきました。やはりパリコレは日本の文化とは大きく違うので、反応が読みづらいし、日本から挑戦する私たちは、上から目線で価値判断されているように思え、自信が持てなくなっていった。あの頃は、「パリコレをけん引するレジェンドたちの審査を通過しないと、一流とは認められない」と思い込んで、本当の自分を見失っていたのだと思います。周囲から「1回目は最高だった」と言われることも多かったですね。「毎回進化してきたつもりだったのに……」と悩む自分と、「自分のオリジナルをつくればいい。自信を持て」と頑張る自分との狭間でアイデンティティが見えなくなり、葛藤がどんどん大きくなっていきました。
結局、99年頃、「初心に返って、自分のスタンスで服づくりに取り組もう」と決意し、パリコレへの参加をすっぱりやめた。その決断が、自分を服づくりの原点に戻してくれたのだと思います。考えてみれば、一人の人間が毎回、世界をあっと驚かすような斬新なクリエイティブをつくり続けることなど不可能なのです。一生のうちに一回でもそんなチャンスに出合えたら、そのコンセプトを幹にして、違う分野や考え方に広げていけばいい――究極の最先端を求めるクリエイターの多くが陥る罠に気づき、やっとパリコレの呪縛から解放されたのです。