肖像

ファッション業界の最前線で活躍するトップクリエイターの方々にインタビュー

鳥居ユキ vol.4

PROFILE

鳥居ユキ (トリイユキ)
鳥居ユキ氏に聞いた20の質問

1943年 東京都に一人っ子として生まれる
1958年 日本女子大学付属中学校から文化学院美術科に3年飛び級で特別入学
1961年 文化学院を卒業。伊藤すま子デザイン研究所で、カッティングとデザイン画を学ぶ
1962年 母・君子のショーで作品を発表し、デザイナーとしてデビュー
1972年 劇団四季の舞台「フィガロの結婚」の衣装70点をデザイン
1975年 パリ・コレクションに初参加(~2008年)
1985年 パリのギャラリー・ヴィヴィエンヌにブティックをオープン
著書「きもの、着ましょ。」(文化出版局)を出版
1994年 メンズライン「ユキトリヰ オム」を発表(~200年)
2005年 パリ・コレクション30周年を記念し、国立代々木競技場第二体育館でショーを開催
2008年・2010年 上海ファッションウィークに招聘デザイナーとして参加
2011年 デザイナー生活50周年。10月に100回目コレクションを発表
2014年 著書「YUKI TORII-STYLE BOOK」(朝日新聞出版)を出版

AWARD HISTORY
1976年 第20回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞
1988年 第32回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞 
1995年 第13回毎日ファッション大賞受賞
     第38回日本ファッション・エディターズ・クラブ賞話題賞 
2005年 第23回毎日ファッション大賞特別賞  

     

日本人であることを印象づける服と演出で「ユキ・トリヰ」を表現。
パリコレを成功させる

 モードの本場で娘が活躍することを夢見ていた母は、何年もかけてパリ進出への足がかりを探していた。そして巡り合ったのが、モンタナやミュグレーを瞬く間にメジャーにしたフランスのファッションコンサルタントの重鎮、ジャン・ジャック・ピカール。75年、鳥居ユキはジャン・ジャックとの二人三脚でパリ・コレクションデビューを果たし、日本人の女性デザイナーとして世界からの注目を集めた。

 パリコレでパッと出て、一瞬の注目を集めて名前を売るデザイナーもいましたが、母は「やるならずっと続けなくてはダメ」という考え方。そのためにはきちんとした人と組むことが重要だと、何年もかけて探して巡り合ったのがジャン・ジャック・ピカール氏でした。パリコレデビューへの足がかりも、こうして母が用意してくれたのです。

 ジャン・ジャックは、とても感覚が鋭い人。フランス人ジャーナリストにどんな服が受けるかを考え、期間中100近いコレクションが開かれる中で、彼らに強いインパクトを与えるには、"日本人であること"を印象づけるという戦略を提案してくれました。
「ユキ・トリヰにしかできないショーをつくり上げよう」と、日本食レストランを会場に選び、床には藁のマットを敷いて、音楽も自分たちで選んで演出しました。そして、服は日本の伝統的な十字絣などのシンプルできれいな柄と、私が得意とする華やかな花のプリントを組み合わせて、鳥居ユキらしさを表現。こうして、パリで初めての小さなコレクションが実現したんです。
 ショーが終わると、雑誌への貸し出し依頼が殺到しました。つまり、注目されたということ。ですが、その時は「服を持って行かれちゃうから、何かに控えなくちゃ」と、慌てて貸出伝票を作成したりして、バタバタ過ぎていった感覚しかありませんでした。
 ショー終了後の帰国する機内で昏々と眠り、目が覚めてようやく実感が湧いてきました。『VOGUE』や『ELLE』も来てくれたし、服の貸し出しも多かった。私、もしかしたらスゴイことを成し遂げたのかもって(笑)。
 パリコレの準備期間は半年でした。東京でもコレクションを発表していたこともあって、自分のリズムは変えられません。でも、パリコレだからという気負いはありませんでした。パリでコレクションを発表するというと、ゴージャスなイブニングドレスなどを見せるのかと思われがちですが、私の作品は、Tシャツの袖をまくると違う素材がチラッと見える服や、紐でキュッと縛るようなスカート。そうしたデザインから、日本の着物のような、和の優美さを感じ取ってもらえたのでしょう。
 3度目ぐらいからはパリコレのコツがつかめてきて、数をたくさん発表するのではなく、印象に残る服を選び抜いて見せていくようになりました。特に好きだったのは、パリのオペラ座の回廊で発表した2002-2003年秋冬のコレクション。オペラ座は、バレエなどをよく観に行っていたお気に入りの場所。文化財を守るための保険書類の束の厚さには閉口しましたが、シャガールの天井画といい、贅沢な化粧室といい、それは夢のような会場です。また、01年春夏は、デニム素材をミックスした大人っぽい服が好評でした。
 忘れられないのは、赤いドレスのスカートの仕上がりがきれいすぎるのが気に入らなくて、アトリエのバスタブに浸けてジャブジャブと洗ったこと。突然の私の"奇行"にスタッフはオロオロしていましたが、フリルに独特のニュアンスが出て「ようやく素敵になったわ」と満足できました(笑)。
 ショーにアクシデントは付き物です。パリでのショー用にイタリアで発注した靴が届いていないのに、先方は「出荷した」の一点張り。結局、本番に間に合わず、モデルが裸足で歩いたこともありました。ショーが始まっても、舞台裏で服を縫い直していることなど日常茶飯事。ジャン・ジャックもかなり焦っていたけれど、大丈夫。間に合うの(笑)。
どんなトラブルでもきちんと対策を考えて、行動すれば何とか解決できるものなのです。

パリコレを経て、世界的デザイナーとして名を挙げ、そのクリエイションは多くの人の心 をつかんでいます。次回は最終回、デビューから年2回のショーを続けてきたユキ氏の今 とは?

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